公開日 2013年06月03日 伊勢原の指定文化財 太田道灌画像 読み、指定、種別、数量、所有者、指定日一覧 よみ おおたどうかんがぞう 指定 市指定文化財 種別 絵画 数量 1幅 所有者 大慈寺 指定日 昭和52年5月25日 解説 太田道灌は、室町時代後期の武将です。江戸城を築城した人物として有名ですが、和歌にも造詣が深く、「文武両道の鑑(ぶんぶりょうどうのかがみ)」と称えられ、文明18年(1486)7月26日、主君上杉定正の館で謀殺されたといわれています。 非業の死を遂げた道灌に対し、道灌の甥(弟ともいわれている)である鎌倉建長寺の長老周厳淑悦禅師(しゅうげんしゅくえつぜんじ)は、道灌を供養するために鎌倉にあった法雨山大慈寺(ほううざんだいじじ)を下糟屋に移したといわれています。 太田道灌画像は、大慈寺の寺宝として伝わるもので、江戸時代に道灌の子孫である太田摂津守資順(おおたせっつのかみすけのぶ)(1762~1808)が、絹地に鮮やかな彩色で武者姿を描いています。また、画中に老中太田備中守資愛(おおたびっちゅうのかみすけよし)の筆で、道灌の歌集「慕京集」(ぼけいしゅう)に載せられている歌が添えられています。 現在は、一般公開していません。 「あずさ弓 おもひなりしも にくみしも たえて我のみ 月を見るかな」 お問い合わせ 文化財係住所:伊勢原市田中348番地TEL:0463-74-5109FAX:0463-95-7615
解説
太田道灌は、室町時代後期の武将です。江戸城を築城した人物として有名ですが、和歌にも造詣が深く、「文武両道の鑑(ぶんぶりょうどうのかがみ)」と称えられ、文明18年(1486)7月26日、主君上杉定正の館で謀殺されたといわれています。
非業の死を遂げた道灌に対し、道灌の甥(弟ともいわれている)である鎌倉建長寺の長老周厳淑悦禅師(しゅうげんしゅくえつぜんじ)は、道灌を供養するために鎌倉にあった法雨山大慈寺(ほううざんだいじじ)を下糟屋に移したといわれています。
太田道灌画像は、大慈寺の寺宝として伝わるもので、江戸時代に道灌の子孫である太田摂津守資順(おおたせっつのかみすけのぶ)(1762~1808)が、絹地に鮮やかな彩色で武者姿を描いています。また、画中に老中太田備中守資愛(おおたびっちゅうのかみすけよし)の筆で、道灌の歌集「慕京集」(ぼけいしゅう)に載せられている歌が添えられています。
現在は、一般公開していません。
「あずさ弓 おもひなりしも にくみしも たえて我のみ 月を見るかな」