箕輪駅跡

公開日 2013年06月03日

伊勢原の指定文化財

箕輪駅跡

箕輪駅跡の写真
読み、指定、種別、指定日一覧
よみ みのわえきあと
指定 市指定文化財
種別 史跡
指定日 昭和44年2月27日

案内図

 

解説

10世紀(平安時代)に完成・施行された『延喜式(えんぎしき)』という律令法の施行細則をまとめた法典に、当時の東海道に置かれた「箕輪駅」というのが登場します。この箕輪駅の所在地として、伊勢原市笠窪字三ノ輪を比定して「箕輪駅跡」として史跡に指定されました。

「駅」とは「駅家(うまや)」で、飛鳥時代から平安時代にかけて、東海道のような主要幹線路である駅路(えきろ)に置かれたものです。律令国家は中央と地方を一元的に支配するため、「駅伝制(えきでんせい)」により、情報伝達のための機構を整備しました。中央から地方へ、地方から中央へとスムースな情報伝達のため4~5里(16~20キロメートル)の間隔で駅家と呼ばれる施設が設置されました。駅には当時の最速の乗り物=駅馬(えきま、「はゆま」「やくめ」とも呼びます。)を置きました。駅に置かれる馬の頭数も法令で定められていました。駅は公式な施設で食事や宿泊の場としても利用されました。

駅路の沿線には、国府や郡家(ぐうけ)と呼ばれる地方支配のための役所が置かれました。

箕輪駅の所在地には伊勢原説の他、秦野説、平塚説がありました。伊勢原説は字三ノ輪という地名だけでなく、当地点あるいは近くを古東海道が通過していたという考えによります。これは相模国府の所在地と関連するものです。かつて相模国府三遷説(海老名市→大住郡→〔大磯〕)が唱えられていました。大住国府の位置を三之宮比々多神社から遠くない伊勢原市内にあったであろうとの説です。

近年、平塚市四之宮の坪ノ内遺跡第7地点の発掘調査で国庁の脇殿(わきでん)と想定される遺構が検出されました。また、東海道とされる道路遺構も発見されました。年代は8世紀です。

国府や駅路の整備はばらばらに整備されたものではなく、一体的に整備されたといわれています。伊勢原の箕輪駅跡も再検討を行う段階にきているように思われます。

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教育部 教育総務課文化財係

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