浄発願寺奥ノ院

公開日 2013年06月03日

伊勢原の指定文化財

浄発願寺奥ノ院

浄発願寺奥ノ院の写真
読み、指定、種別、指定日一覧
よみ じょうほつがんじおくのいん
指定 市指定文化財
種別 史跡
指定日 昭和44年2月27日

案内図

解説

現在日向1816番地にある浄発願寺(じょうほつがんじ)の旧跡です。昭和13年、山津波に襲われ、本堂は倒壊し、庫裡(くり)には土砂が流入し多くの文化財を失いました。その後寺はこの地に再建されず、現在地に移転しました。この旧跡を現在の寺に対して「奥ノ院」と呼んでいます。

木食僧の寺として有名な浄発願寺は、尾張(おわり・愛知県)出身の弾誓(たんせい、慶長18年・1613入寂)を第1世としますが、秋田の大名佐竹氏出身の4世の空誉(くうよ)により、天和(てんな)3年(1683)に建立されました。

弾誓は徳川家康から165,000坪(約544,500平方メートル)もの境内地を与えられ、その境界には一定間隔で塚が築かれていたといいます。

日向薬師行きバスの終点から日向川の谷をさかのぼること1.8キロメートル、奥ノ院の入口に着きます。日向川に架かる橋を渡ると閻魔堂(まがいどう)跡になりますが、橋の手前右側に第12世天阿(てんあ)が念仏修行した「念仏岩」があります。「延享元(1744)甲天七月 此石居□亮台上人代」と彫られています。

閻魔堂跡には尾張徳川家三代綱誠(つななり)の正室・瑩珠院(けいしゅいん)の遺髪を納めた大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。また、卵を立てたような住職たちの墓である無縫塔(むほうとう)が並んでいますが、第22世(中興18世)速阿(そくあ)の墓の台座には三猿が彫られ庚申塔でもあるようです。

閻魔堂から200メートルほどで本堂下に着きます。途中にはいくつかの供養塔などがありますが、まだまだ右手の沢に埋まっているようです。以前は厚木市荻野出身の浮世絵師歌川国経(うたがわくにつね)の供養塔がありましたが、現在は寺に移されています。

 本堂へ登る石段は53段あり、空誉が幕府から罪人53人をもらい受けて一人に一段ずつ築かせたものといいます。これ以降、放火と殺人を犯したもの以外は、ここに駆け込めば助けられたといいます。

本堂跡は東西の沢の合流部の平坦地にあります。明治15年頃の見取り図では、向かって左から本堂・茶の間・居間・庫裡と建物が連なっていました。東西の沢には岩盤を切り開き、沢水を流す工夫がされています。

西側の沢を越え100メートルあまり登ると、弾誓が修行したという岩屋があります。岩屋の左右には数多くの無縫塔が立ち並び、岩屋内部には瑩珠院や佐竹氏・藤堂氏といった大名の女性の墓石や仏像・仏塔があります。箱根・塔之沢にある阿弥陀寺にも弾誓修行の岩屋があり、また弾誓は京都・古知谷の阿弥陀寺にある岩屋に眠っています。 

お問い合わせ

教育部 教育総務課文化財係

ページのトップへ