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伊勢原の指定文化財

太田道灌の墓(洞昌院)

太田道灌の墓(銅昌院)
よみ おおたどうかんのはか(とうしょういん)
指定 市指定文化財
種別 史跡
所有者 洞昌院
指定日 昭和44年2月27日

解説

上粕屋にある曹洞宗、蟠龍山(ばんりゅうざん)洞昌院の境内の一角にあります。本寺は15世紀の武将、太田道灌が中興開基です。

室町時代、文明18年7月26日、主君扇谷(おうぎがやつ)上杉定正(うえすぎ さだまさ)の糟屋にあった館に招かれた太田道灌は、定正の手の者により殺されてしまいました。55歳でした。

道灌の最期については、いろいろな伝承があるようですが、子孫に伝わったものとして、館の風呂場で刺客に襲われ、「当方滅亡」(これでこちらは滅亡するぞ)と叫んで亡くなったとされる話が一番有名です。

遺体は洞昌院の裏手で荼毘(だび)に付されたといいます。墓には宝篋印塔が建てられていますが、年代的にも道灌の亡くなった時期と矛盾しないようです。また、墓前の左右には松の大きな切り株がありますが、道灌の四十九日の供養に当時関東にいた詩僧・万里集九(ばんりしゅうく)が祭文(さいもん)をささげ、植えた松と考えられます。明治半ばに描かれた墓の絵を見ると、立派な松が二本そびえています。さらに木刀と思われるものが奉納されています。風呂場において丸腰の状態で刺客に襲われた道灌に、せめて刀があったならという信仰からのものと思われます。

道灌の力により戦乱が鎮まっていた関東では、その死後程なくして扇谷上杉氏と山内(やまのうち)上杉氏との間で戦闘が始まり(長享の乱、ちょうきょうのらん)、やがて北条早雲により両上杉氏とも滅亡に追い込まれることになります。

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