公開日 2015年12月17日
更新日 2022年03月23日
霊樹(楠木について)
善波に伝わる楠木にまつわる伝説の話。
謂われによれば立派な楠木が善波にあったといわれており、その伝記が神奈川県昔話50選にも選ばれている「日向薬師の破れ太鼓」に残されています。
昔話は善波に天を覆うような大楠があり、村中の自慢であったという。「おら楠の村の者じゃ」といえば、どこの村に行っても「ほー善波の人じゃな」といわれるくらいだった。ところがこまったことがあり、村中木陰になって作物がとれなかった。ある年「楠を伐ってしまうべー」ということになり楠を伐って一番太い所で太鼓を作って日向薬師に納めたと記されています。
楠木が善波のどこにあったのか諸説ありますが、享保年間に書かれた古文書によると勝興寺の山門近くに立派な楠4株があり、大人10人で囲むほどの太さがあり、東西南北に枝をなし、天を覆い、ひるがえり、その下は長い年月陽がささなかったと記されています。
大太鼓を作れるほどの太さがあったことから霊樹とされていたという。霊樹とされた楠木は古文書が書かれた享保年間にはまだ根が残っていたとも書かれていることから大楠が善波に実際にあったことはたしかなようである。又、古文書には書かれていないが茶話によると枝の部分で善波中の橋を架け直したとも伝わっている。橋は、八尺幅で厚さ七寸以上もあったという。
大楠で作った橋で最後まであったのが坪ノ内のカネツケ面橋でいま般若面橋と伝えている。「現在般若面橋は大住団地の下坂東橋にあたる。昔ここで他村から嫁にきたり、又善波から他村に嫁に行ったりしたとき、歯を黒くした(お歯黒)ことからカネツケ面橋→般若面橋と呼ばれるようになったと伝わっている。」
勝興寺山門近くには小木ながら今も存在し、霊樹を引き継ぐかのように訪れる人に語り掛けているようである。
善波には楠木にまつわる地名もあり、西玉地区にある「日影沢」という地名は勝興寺の西方にあたり、陽を遮り陽が射さなかったことから、この地名がつけられたと伝わっている。楠木は善波の環境にあった善波を象徴する照葉樹であるといえよう。
(参考資料)
- 日向薬師の破れ太鼓
- 善波の古文書
- 新編相模風土記稿