風景画に見る大山(描かれた日本の名山)

公開日 2012年10月04日

風景画に見る大山(描かれた日本の名山)

 

神奈川県県央部に位置する相模大山は、丹沢山塊の前面にそびえ立ち、相模平野を見下ろしています。その三角形の安定した山容は、万葉の時代から人々に親しまれて来ました。

大山参詣が盛んになると東海道を描く風景の中に、富士山と並んで大山がはっきりと描かれるようになったようです。現在、大山を神奈川県西部から描いた浮世絵は確認できていません。東部からの描写のみのようです。

様々な形の大山をご覧ください。

東海道・平塚

縄手道

浮世絵 広重「東海道五拾三次之内 縄手道」
広重「東海道五拾三次之内平塚 縄手道」天保4(1833)年
浮世絵 広重「五十三次之内平塚 東海道八」
広重「五十三次之内平塚 東海道八」
弘化4(1847)年~嘉永5(1852)年

上の2枚は19年ほどの時間差がありますが、ともに平塚宿を出て、大磯へ向かう東海道を描いています。ほぼ同じ場所といえます。

前方に高麗山が見え、右手に富士山、大山と続きます。左の絵では山の名前がありませんが、右の絵には三つの山にはちゃんと名前が付いています。これにより山の形は少々異なりますが、大山が確認できます。大山が浮世絵に登場する一番西側といえるようです。

馬入川・舟渡し

相模川の下流は馬入川と呼ばれています。源頼朝と関係づけた命名譚は有名です。明治になり木橋が架設されるまで、渡し舟で川を渡っていました。天保11年(1840)頃は舟6隻が置かれ、一隻に船頭が3名だったといい、文政、天保の頃の渡船料は12文だったようです(平塚市教育研究所 1962)。

東海道の渡し場であり、富士山を望む位置にあることからか、この渡しを描いた浮世絵は比較的多いようです。京に向かうため、馬入川左岸(茅ヶ崎市側)から描かれています。富士山と並んで大山が描かれています。

浮世絵 広重「東海道五十三駅御一新名所雙六」中「平つか ふし沢へ三里半」

広重「東海道五十三駅御一新名所雙六」中
「平つか ふし沢へ三里半」明治17(1884)年

相模川を上り下りする帆掛け船が浮かんでいます。前面の山には「大山」と標記されています。

浮世絵 広重「東海道五十三次之内平塚 馬入川舟渡しの図」
広重「東海道五十三次之内平塚 馬入川舟渡しの図
弘化初期(1844年頃)
浮世絵 広重「五十三次名所図会八 平塚 馬入川舟渡し 大山遠望」
広重「五拾三次名所図会八 平塚 馬入川舟渡し 大山遠望」
安政2(1855)年
浮世絵 広重・三代豊国「雙筆五十三次 平塚 馬入川舟渡」

広重・三代豊国 「雙筆五十三次 平塚 馬入舟渡」 
安政元(1854)年

左上の渡し風景は、荷物を一杯積んだ馬の背の正面に三角形の大山、右は画面上部に大きく大山を描いています。東海道の渡しということで、舟も複数行き来している様がとらえられています。

3枚とも富士山の向かって右手に大山が描かれています。

 

 

 

 

 

浮世絵 広重「東海道 平塚」

広重「東海道 平塚」 文久3(1863)年

馬入川に架かる橋を渡る行列。笹竜胆(ささりんどう)の家紋が付いた吹き流しがひるがえっています。

上洛東海道といわれる絵で、徳川将軍の上洛を直接描くことができないので、鎌倉時代やその他の時代に設定しています。

馬入川の架橋は上洛にあたってもなかったようですが、ここでは時代を変え、源頼朝が落成式に出席したという馬入川の橋ということなのでしょうか。

富士山の左に「大山」が描かれています。

 

東海道・藤沢

南湖・左富士

浮世絵 広重「五十三次名所図会七 南(期)湖左り不二」
広重「五十三次名所図会七南期(湖)左り不二」
安政2(1855)年
浮世絵 芳盛「末広五十三次 藤沢 南湖の松原」
芳盛「末広五十三次 藤沢南湖の松原」 
慶応元(1865)年

東海道で道の左側に富士山が見えることで、「南湖の左冨士」は有名です。東海道を行く一行は大山講とも見えます。平塚経由の参詣なのでしょう。富士山の右手の山並みは大山といえます。芳盛の絵は上洛東海道です。

浮世絵 国綱「東海道名所之内 四ッ谷」

国綱「東海道名所之内 四ッ谷」 文久3(1863)年

上洛東海道の絵ですが、行列の前方に富士山とわざわざ「大山」と標記された大山が描かれています。

ここ四ッ谷で東海道から分かれ右に道をたどると、田村通り大山道となります。寒川町一ノ宮から渡船で相模川を越え、平塚市田村、伊勢原市沼目、伊勢原を経て大山に向かいます。

浮世絵 芳形「東海道藤澤」

芳形「東海道藤澤」 文久3(1863)年

これも上洛東海道の絵ですが、藤沢宿を京方向に進む行列の前方には、三角形にそびえる山が大きく描かれています。藤沢宿の前方の山というと、平塚の先、大磯の「高麗山」が考えられますが、その山頂は円みを帯びていて、ピラミッドみたいな山ではありません。このことから、ここでは藤沢宿の浮世絵によく描かれている大山としておきます。

中央から右にかけて、行列の馬であろう飾り立てられた馬とその馬の草鞋(馬沓)を替えている馬子が大きく描かれています。

 

横浜・三浦

浮世絵 広重「不二三十六景 武蔵野毛横浜」
広重「不二三十六景 相州三浦之海上」
安政5(1858)年
浮世絵 広重「不二三十六景 相州三浦之海上」
広重「不二三十六景 武蔵野毛横浜」
安政5(1858)年

「野毛・横浜」は、あたかもランドマークタワーから見た大山のように思えます。大山からもタワーがよく見えます。三浦は半島の先端から海越しに大山が見えると思います。

快晴で、もや等がない日には、横浜・三浦半島はもとより房総・新宿副都心などがよく見えます。埼玉県・茨城県内からも大山が見えるそうです。

浮世絵 五雲亭貞秀「蒸気船全図 海上浦賀風景」

          五雲亭貞秀「蒸気船全図 海上浦賀風景」 文久3(1863)年

三浦半島の先端を行く外輪の蒸気船。舳先は江戸湾方向ですが、風は艫方向から吹いていることが煙突の煙からわかります。三浦半島の先端部は、実際このような波食台の上に関東ローム層が堆積し、平坦な地形をしています。

煙突間にある山が、左から金時山、次いで三角形に尖った大山です。

浮世絵 広重「建久六年源頼朝卿上京之図」

          広重「建久六年源頼朝卿上京之図」 文久2(1862)年

建久6年(1195)、源頼朝が上洛する行列を描いていますが、この絵では頼朝は鎌倉ではなく、江戸から出発したようです。この絵も上洛東海道で14代将軍・徳川家茂の上洛を描いています。大錦3枚続きで、富士山・大山など雄大な山々を背景とし、前面に将軍の大行列が続きます。

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