公開日 2012年10月04日
歳時記 8月
雨乞い(あまごい)
自然への依存が強かった時代、夏の水不足は深刻なものでした。雨が降らなければ田畑の作物は枯れ、飢饉の年になりました。かつて伊勢原市内でも雨乞いの行事が行われていましたので、いくつか紹介してみたいと思います。
〈大山の雨乞い〉
広い信仰圏をもっていた相模大山は雨乞いの山として有名でした。降雨を祈る農家の人たちなどは、石尊大権現に参詣し竹筒に滝の水を入れ、家に帰り着くまで休まず歩き続けました。立ち止まるとその場所に雨が降ってしまうという理由でした。
また、池端地区では大幣講(だいへいこう)といって、8月の2日か3日に大きな幣束(へいそく)を作り、阿夫利神社に奉納し雨降りを願う行事がありました。成瀬地区でも行われていたようです。

(解説)
右の絵は作者不明の浮世絵に描かれた「ぼんてん」です。
中央男の子が二人で支えているのが、「ぼんてん」です。向かって左手の子が手にするものは、大山参詣につきものの「納め太刀」です。黒地に「石尊大権現」と書かれています。
江戸市中の「子どものあそび」が描かれたものと思われますが、
詳しいことは不明です。(左の絵は浮世絵「子供あそび」 ぼんてん(部分))
幣束:幣束は梵天(ぼんてん)ともいわれていました。
〈日向地区の雨乞い〉
日向薬師・宝城坊には神奈川県の重要文化財に指定されている「獅子頭」があります。
鎌倉時代末から室町時代の初期のものといわれる「男獅子・女獅子」と呼ばれる2躯です。
本来は仏道の修行や堂塔落慶(どうとうらっけい)の際に奉納されて獅子舞に使用されたものですが、いつのころからか雨乞いに使われるようになりました。本堂の東にある男滝・女滝にそれぞれ浸し祈ったといわれています。
また、日向川の上流にある天台宗・無常山浄発願寺は、木食(もくじき)僧の寺として有名ですが、同寺には大きな雨乞い軸(市指定文化財)があります。長さ12.4メートル、幅1.82メートルもあり、大きな文字で「南無阿弥陀仏」と六字名号(ろくじみょうごう)が書かれています。天和3年(1683)に同寺を建立した四世・空誉(くうよ)上人が、衣の袖で書いたといわれています。
日照りになると、降雨を祈る人々は寺の前を流れる日向川の雨乞い渕で水を掛け合い、寺の僧は雨乞い軸の「南」一字を開き読経しました。雨が降らなければ2日目は「南無」の2字、3日目は「南無阿」3文字といった具合に順に軸を開いていきました。たいていは6文字全部開かないうちに雨は降ったといいます。日向川流域の雨乞いは「雄獅子・雌獅子」から「雨乞い軸」へと変わっていったといわれています。
市内にはこのほか「雨乞いの竜」の絵もあります。