心敬塚

公開日 2019年06月28日

心敬塚

江戸時代に描かれた心敬僧都part2
心敬僧都(栗原信充『肖像集』江戸時代後期)
 

 

概要

連歌中興の祖といわれる心敬は、応永十三年(一四〇六)に紀伊国名草郡田井庄(現在の和歌山市)に生まれた。幼いときに出家し、比叡山で修行を積んだ。京都東山の十住心院の住持となり、後に権大僧都に至った。正徹に和歌を師事し、『ささめごと』、『老いのくりごと』、『心玉集』、『心敬僧都百句』、『芝草』などの著作を遺した。宗祇は弟子に当たる。宗祇が名匠として選んだ連歌師七賢のうちの一人。

応仁の乱の騒乱を避け、関東へ下向し、太田道灌の父、道真が開いた連歌会「河越千句」などにも参加した。文明三年(一四七一)夏、相模国大山山麓の古寺、石蔵山浄業寺に身を寄せ、同六年には江戸城で開かれた太田道灌主催の「武州江戸歌合」の判者を務めた。翌七年(一四七五)四月一六日に、当地石蔵(伊勢原市上粕屋字石倉)にて没した。享年七〇歳。

当地は、心敬が大山、江ノ島などの景色を愛でながら、都を偲んで歌を詠んだところとされる。墓所は北東下方約二〇〇メートルの浄業寺との伝承もあるが、地元では古くからこの丘を“心敬塚”と呼び、心敬を祀る地として手厚く護持している。

 

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