Story 01大山詣りを仕掛けた御師の生い立ち

鉄造不動明王及び二童子像 

鉄造不動明王及び二童子像

 戦国時代末期の天正18年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢により北条氏が滅ぼされた戦いにおいて、大山の修験者(しゅげんじゃ)たちは武装し北条氏と共にいた。 その後、江戸近郊に僧兵の武装勢力があることに危機感を持った徳川家康は、大山を純粋な信仰の地とするため山内改革(さんないかいかく)を行い、寺領を寄進し経済的な支援をする一方で、 修験者や妻帯している僧侶たちを大山寺から追放した。

 家康に下山を命じられた者たちはその信仰心を断ち切らず、生き残り策として中腹で神殿を備えた宿坊を営む御師となった。 御師たちは、宿坊や土産物屋を営みながら、年に100日以上にわたり関東一円の檀家を廻って御札(おふだ)を配り、初穂(はつほ)を集め、 大山寺に祀(まつ)られる「不動明王(ふどうみょうおう)」と山頂に祀られる「石尊大権現(せきそんだいごんげん)」の霊験を広める地道な布教活動に励んだ。