石造多宝塔

公開日 2013年06月03日

伊勢原の指定文化財

石造多宝塔

石像多宝塔写真
読み、指定、種別、所有者、指定日一覧
よみ せきぞうたほうとう
指定 市指定文化財
種別 建造物
数量 1基
所有者 普済寺
指定日 昭和57年2月5日指定

 

詳細情報

石像多宝塔の構造、規模
構造 安山岩(小松石)製
規模 高さ約6メートル

解説

石造多宝塔は、天保(てんぽう)9年(1838)に、高部屋神社の神宮寺(じんぐうじ)第14代住職である文道玄宗(ぶんどうげんそう)により建てられました。

文道禅師は江戸幕府の命を受け、蝦夷(えぞ)(現在の北海道)国泰寺(こくたいじ)の第5代住職として赴任し、7年の任期を勤め上げ、神宮寺に戻りこの石塔を建立しました。

明治元年の神仏分離令により神宮寺が廃寺となり、石造多宝塔は地元の人々の手により普済寺に移設されました。 

屋根の四隅には風鐸(ふうたく)を付けた痕があり、塔身をくり抜いた中には石造の釈迦如来坐像が置かれています。

台座の正面には「多宝塔」と彫られ、台石の上段には銘文(めいぶん)が刻まれています。中・下段には「松前家諸士庶人一統名簿」が彫られており、多宝塔建立のために寄進した約700名の名前やクナシリや子モロ(根室)、箱舘(函館)など蝦夷地の様々な地名をみることができます。

最上部の相輪は大正12年の関東大震災で破損し、九輪あったものが六輪になっています。

国泰寺:文化元年(1804)、江戸幕府は蝦夷地の鎮護のため三官寺(さんかんじ)を創建した。蝦夷の三官寺とは有珠(うす)の善光寺(ぜんこうじ)(浄土宗)、様似(さまに)の等澍澍院(とうじゅいん)(天台宗)、悪消(あっけし)(厚岸)の国泰寺(禅宗)のことである。国泰寺の持場は、エトロフ、クナシリ、ネモロ(根室)、アッケシ、クスリ(釧路)、トカチの6箇所で、現在の北方四島も国泰寺の活動範囲になっていた。

風鐸:笠部分に吊り下げられた装飾品。風に揺られて鳴り、厳かな雰囲気を演出し、寺の風格を示している。(伊勢原市文化財調査報告書第3集『蝦夷の国泰寺と相模の禅僧』より)

神宮寺:神仏混淆の考えの中、神社の敷地内に設置された寺院の総称。神仏分離令により、廃寺や独立した寺となる。

松前家:北海道唯一の大名家。

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教育部 教育総務課文化財係

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