公開日 2022年02月15日
6.神成松遺跡第8地点
1 遺跡の概要
- 所在地
伊勢原市上粕屋字立原・字神成松 - 調査原因
一般国道246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う発掘調査 - 調査期間
平成30年8月1日~調査中 - 主な時代
旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世 - 遺跡立地
大山の山際からのびる上粕屋扇状地の台地上 - 調査組織
公益財団法人かながわ考古学財団
本遺跡の調査では、近世~縄文時代の遺構と、旧石器時代の遺物が確認でき、とくに中世と弥生時代には多くの遺構が発見されています。
本遺跡での中世の調査では、2条の溝に挟まれた範囲から複数の掘立柱建物が集中して建てられていた状況が確認され、今年度は溝の延長部分と掘立柱建物群の南東側を調査しました。その結果、溝は調査した範囲内で直角に連結し、東西幅約75メートルの四角い範囲を囲う区画溝であることが明らかになりました。区画の内側からは昨年度までに調査したものも合わせ、12~15棟の掘立柱建物跡と15~20基の竪穴状遺構が検出されました。建物跡の周囲や溝からは在地産・鎌倉産のかわらけ、中国産磁器などが出土していますが、遺物の大半は破片資料です。
こうした遺物や遺構から、これらの遺構群は13世紀代を中心とする御家人の方形居館跡と考えられます。これまでの調査は、居館の南東側半分を調査したことになりますが、溝を渡るための橋などの施設は見つかっていません。建物跡にも構造や規模が際立って違うものも確認できず、屋敷跡の中心部や正面といった構造については今後の分析を待つ必要があります。近年、本遺跡の周辺遺跡の調査では、糟屋氏に関連すると考えられる中世寺院や屋敷跡の存在が確認されています。とくに本遺跡の西方約1キロメートルには、同時期の大規模な屋敷跡や寺院跡である子易・中川原遺跡が位置し、これらとの比較も必要となります。
弥生時代の遺構としては、28軒の竪穴住居跡が確認でき、このうち今年度は10軒を調査しました。住居は台地の中央部分にまとまり、より東側の範囲には焼失住居が複数軒含まれています。出土した土器から、これらの住居は弥生時代後半~古墳時代前半のものと考えられます。
2 調査地点
3 調査の写真
- 10区C5掘立柱建物
- 10区C2・3掘立柱建物
- 10区C1溝 遺物出土状況
- 10区C1溝 遺物出土状況
- 10区C1溝 遺物出土状況
- 10区C9竪穴状遺構
- 10区C1掘立柱建物
- 10区かわらけ集中
- 10区H1号竪穴住居(遺物出土状況)
- 10区H1号竪穴住居(床面・カマド)
- 10区H1号竪穴状遺構(遺物出土状況)
- 10区Y3号竪穴住居
- 10区Y3号竪穴住居 遺物出土状況
- 10区Y4号竪穴住居
- 10区Y4号竪穴住居 遺物出土状況
- 10区Y4号竪穴住居 遺物出土状況
- 10区Y4号竪穴住居 遺物出土状況
- 10区Y7号竪穴住居
- 炭化物・遺物出土状況
- 10区Y7号竪穴住居 遺物出土状況