上粕屋・久保上遺跡第1次調査(令和5年度調査)

公開日 2024年02月16日

上粕屋・久保上遺跡第1次調査

遺跡の概要

  • 所在地
    伊勢原市上粕屋字立原1398-1外、1421-2外、1610-2外、2811-1外
  • 調査原因
    伊勢原大山インターチェンジ土地区画整理事業に伴う発掘調査
  • 調査期間
    令和4年6月13日~12月8日(5・6エリア)
    令和4年9月5日~令和5年4月5日(横穴墓エリア)
    令和5年1月5日~3月16日(2エリア)
    令和5年5月6日~令和6年1月29日(7エリア)
  • 主な時代
    縄文、弥生、古墳、奈良、平安、中世
  • 遺跡の立地
    大山裾野に広がる上粕屋扇状地内

 

5・6エリア

当エリアでは主に中世および弥生時代後期~古墳前期の遺構・遺物が確認されました。中世は5エリア北側で東西方向に延びる道路状遺構が検出されました。複数回の造り直しがなされている模様で、覆土中からは獣骨(ウシ・ウマ)が検出されています。6エリアでは人骨を伴った土坑墓が検出されました。弥生時代後期後葉~古墳時代前期は計22棟の竪穴建物址が検出され、周辺調査成果同様に集落が広がることが確認されました。5エリア1号竪穴建物址は、床面が壁面に沿って一段高くなる「テラス状遺構」と呼ばれる構造をもち、一段下がった床面と同じく非常に硬く踏み締められていました。6エリア2号竪穴建物址は主柱穴の他、壁面に柱穴を有し、炉址のすぐ脇には人頭大の台石が置かれていました。縄文時代は遺構・遺物ともに数的に少なかったものの、6エリア南斜面部で、後期とされる配石や埋設土器が検出されました。

横穴墓エリア

当エリアでは古墳後期の横穴墓が16基確認され、1号横穴墓を除く15基では玄室内の調査まで行い、玄室内より人骨および副葬品が出土しました。
 玄室を確認した15基のうち11基から埋葬された人骨が出土しました。各玄室内に埋葬された人骨は一人分であることもあれば、複数人分の人骨が発見されることもありました。玄室やその手前に位置する前庭部からは副葬品も出土しています。副葬品としては坏・坏蓋類、壺類、甕類、瓶類などの須恵器の他には、刀子や鉄鏃、被葬者が身に着けていたと思われるメノウ製勾玉や水晶製切子玉、滑石製の小玉、ガラス製の丸玉や小玉が見られます。

2エリア

2エリアは、事業地東端・市道87号線沿い、標高65.7~64.2mの台地上に立地しています。1エリアと南側で接しています。当エリアでは主に中世および古墳時代後期~平安時代の遺構・遺物が確認されました。
 中世では1エリアから続く区画溝のコーナーが捉えられ、西側へ向かって更に伸びていくことが確認されました。また、別の区画溝が途中から交わっており、溝自体の造り替えも想定されます。溝の区画内では竪穴状遺構が検出されています。また、古代では竪穴建物址1棟が検出されたに留まりました。

7エリア

中世のC1号溝状遺構は南北方向に延びており、既調査の区画溝と繋がることが確認されました。既調査において区画溝の断面形状は南辺が薬研状を呈するのに対し、西辺は逆台形を呈することが判明しています。また、調査区の西側において検出されたC3号溝状遺構は、C1号溝状遺構の軸方向と一致していることも明らかとなっています。掘立柱建物址は、区画溝内にあたる調査区の東側において8棟、溝の外側で1棟検出されました。さらに全長は約22mと短いながら、区画溝と重複する薬研状のC2号溝状遺構溝も検出されていることから、居館跡は方形の区画溝を有する時期と異なる遺構も存在していることが想定されます。
 なお、これまで指摘されてきている方形居館跡に巡らされた区画溝に伴う橋等の施設の存在については、今回の調査区においても橋をかけていたような痕跡や橋に相当するような遺構の存在は確認されませんでした。

調査の写真

1エリア

2エリア 2号溝(中世)
2エリア 2号溝(中世)
2エリア中世面全景
2エリア 中世面全景
6エリア2号住(弥生)
6エリア 2号住(弥生)
6エリア19号土坑墓(中世)
6エリア 19号土坑墓(中世)
 
7エリア全景
7エリア 全景
 
横穴墓下段左から4号・5号・6号・7号・8号横穴墓
横穴墓エリア 下段左から4号・5号・6号・7号・8号横穴墓
横穴墓調査区全景
横穴墓エリア 調査区全景
 

地図

遺跡の位置

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