西富岡・長竹遺跡第7次調査(令和5年度調査)

公開日 2024年02月16日

西富岡・長竹遺跡第7次調査

遺跡の概要

  • 所在地
    伊勢原市西富岡982-2外13筆
  • 調査原因
    一般国道246号(厚木秦野道路)建設工事に伴う発掘調査
  • 調査期間
    令和5年4月1日~9月30日(3区)
    令和6年1月4日~調査中(4区)
  • 主な時代
    縄文・中世・近世
  • 遺跡立地
    渋田川とその支流に挟まれたやせ尾根状台地上

 

西富岡・長竹遺跡3区の発掘調査は、令和5年4月4日より開始され、9月30日に終了しました。
 近世では畝状遺構や溝状遺構35条が確認されました。K27号溝状遺構からは、溝底面に波板状の掘り込みが確認されました。波板状の掘り込みは、道状遺構の遺構底面からよく確認されており、道の基礎として地盤を強くするために掘り込まれているものと考えられています。
 中世の調査では、堀状遺構が確認されました。堀状遺構は渋田川とその支流に挟まれたやせ尾根状台地を南北に分断するかたちで確認されました。堀状遺構の規模は、東西方向に長さ約60m、幅約6m、深さ約2.8mを測ります。断面はV字形、急角度で立ち上がる形態をしています。水が流れたような堆積は確認されず、人為的に埋められたと考えられます。断面形の形状から防御的な性格もあったのではないかと考えています。遺構内からは14世紀中~後半の古瀬戸の四耳壺が出土しています。前年度調査を実施した西富岡・長竹遺跡で確認されている堀状遺構と同一の遺構と考えられます。
 縄文時代の調査では、竪穴住居跡2軒が調査区の北側から確認されました。J1号竪穴住居跡は、南側を近世の溝状遺構により壊されていましたが、石囲い炉が確認されました。J2号竪穴住居跡からは、石囲い炉と埋甕2基が確認されました。J1号・J2号竪穴住居跡とも、出土土器から縄文時代中期後半の遺構と推測されます。
 4区の調査は、令和6年1月5日から開始しました。4区は3区北側に隣接する調査区で、3区で確認された遺構の続きなどが検出されると予想されます。特に、3区で確認されている縄文時代中期後半の住居跡が北側に展開していくのではないかと想定しています。

調査の写真

K27号溝状遺構 波板状掘り込み
K27号溝状遺構 波板状掘り込み
K27号溝状遺構 礫出土状況
K27号溝状遺構 礫出土状況
K27号溝状遺構・北から
K27号溝状遺構
C1号堀状遺構・西から
C1号堀状遺構
C1号堀状遺構・東から
C1号堀状遺構
J1号竪穴住居跡・北から
J1号竪穴住居跡

J2号竪穴住居跡・北から
J2号竪穴住居跡

地図

遺跡の位置

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