公開日 2013年06月03日
伊勢原の指定文化財
日向渕ノ上石造五層塔
解説
この石塔は壬申(じんしん)の乱(672)で破れた大友皇子(おおとものおうじ)の墓との言い伝えがあり、通称「大友皇子の墓」と呼ばれています。
石塔は基礎・塔身・笠・相輪からなり、鎌倉時代末から南北朝時代初め(14世紀前半)に造られたと考えられます。現在は相輪のかわりに五輪塔の空風輪がおかれています。
五層塔は五重の塔と同様に、本来は釈迦の舎利(しゃり)を納める仏塔でしたが、中世には墓石や供養塔として祀られるようになりました。
神奈川県内には全容が分かる層塔は数基しか残っておらず、この五層塔は相輪が失われているものの、ほぼ全容を知り得る例として貴重な資料です。
大友皇子と石塔の時代には隔たりがあり、直接的な関係については不明ですが、鎌倉時代末から南北朝時代初めに層塔を建立した有力な人物、集団が存在したことを示しています。
壬申の乱:天智天皇の長子である大友皇子(おおとものみこ、明治3年(1870)、弘文天皇の称号を追号)に対し天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて起こした反乱。反乱者である大海人皇子が勝利した。
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