公開日 2024年02月16日
上粕屋・和田内遺跡第4次調査
遺跡の概要
- 所在地
伊勢原市上粕屋字和田内2946-3外 - 調査原因
一般国道246号(厚木秦野道路)建設工事に伴う発掘調査 - 調査期間
令和4年11月1日~令和6年1月31日 - 主な時代
縄文・古墳・古代・中世・近世 - 遺跡立地
和田内所在小谷戸の斜面裾
昨年度から継続して、10区の調査を行いました。主に中世~縄文時代の調査を行い、中世と古墳時代で大きな成果がありました。
中世後期では、斜面の裾から溝を検出しました。溝は、何条も見つかっています。斜面の裾を切り、排水を行っていたと考えられます。中世前期の溝は、中世後期の溝より大きく、排水の機能だけでなく、区画の目的もあったと考えられます。本遺跡は、平安時代末に創建された極楽寺(廃寺)の伝承地であり、これまでの発掘調査でも寺院の存在が推測されています。これらの状況を合わせると、大きな溝は、寺院の区画溝であったと考えられます。寺院の前面は、よく分かっていませんが、古来より耕作地として利用されていたとみられます。溝の中からは、多くの遺物が出土し、農耕具である横槌やアカ汲み(田舟の水を掻き出すもの)も出土しています。
古墳時代では、前期の竪穴住居跡が3軒発見されました。この中でもF12号住居は、住居の構築材が炭化し、倒れ込んだ状態で検出されました。検出されたのは、主に垂木とみられ、主柱は残っていないとみられます。また、細い単子葉類がまとまった状態で検出されました。検出状況から考えると、住居は火を受けて、焼失したとみられます。火事のような大きく早い火の回りでは、構築材の中まで炭化することはありません。また、崩れ落ちるのが早いため、このような良好な状態で残ることもありません。そのため、ゆっくりと長時間蒸し焼き状態であったと考えられます。出土した垂木などが異なる方向であるため、長時間蒸し焼き後、数回に分けて、崩れた可能性もあります。炭化材の中の細い単子葉の束は、屋根材とみられます。束のような状態で残ることはないので、何か結束していたのかもしれません。このような状況から、F12号住居は、土屋根の住居であった可能性があります。