公開日 2025年02月07日
上粕屋・石倉中遺跡第2次調査第5地点
遺跡の概要
- 所在地
伊勢原市上粕屋字石倉中1480外 - 調査原因
一般国道246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う発掘調査 - 調査期間
令和6年4月1日~調査中 - 主な時代
縄文・奈良~平安・近世 - 遺跡の立地
上粕屋扇状地上の奥地・大山の山裾付近
調査は令和6年2月1日から開始しており、今年度の調査は前年度からの継続となります。
近世では溝状遺構8条、道状遺構2条、畑跡3基、土坑95基、井戸1基、ピット80基、段切り1基、硬化面5基(このうち溝状遺構4条、道状遺構2条、土坑27基、段切り1基については前年度に確認。継続して調査を行った。)が検出されました。K1号道状遺構は近接する第4地点で確認されていた青山通大山道と推定される道状遺構が第5地点にも及んできたもので、南東から北西方向に延びています。K2号道状遺構は調査区の北東隅から南西方向に延びており、調査区の中央付近で、K1号道状遺構とぶつかり、T字路となります。
奈良・平安時代では土坑38基、ピット42基が検出されました。土坑のほとんどは円形土坑と呼ばれる真円に近いプランのものでした。
縄文時代では集石19基、配石2基、土坑5基、焼土跡1基が検出されました。集石は石を用いた蒸し焼きの跡と考えられております。また配石のうち1基は、被熱を受けた30【機種依存文字】大の礫数点が折り重なっており、やはり蒸し焼きなどの調理を行った跡の可能性があります。
縄文時代の遺物としては土器、石器が検出されています。縄文土器は後期、中期、早期のものが検出されていますが、後期のものはほとんどなく、早期の撚糸文系土器と呼ばれる土器が主体で、中期の土器の数がそれに準じます。石器は石鏃、打製石斧、礫斧、磨製石器、礫器、磨石、石皿、スタンプ形石器などが出土していますが、出土層位からほとんどが早期、中期のものと思われます。また前述の遺構についても土器が伴うものはほとんどありませんでしたが、遺跡から出土する土器の傾向から早期、または中期に属するものと思われます。