公開日 2025年02月07日
三ノ宮・上入増遺跡 三ノ宮・中尾根山遺跡
遺跡の概要
- 所在地
伊勢原市三ノ宮1826-4外
伊勢原市三ノ宮2052-6外 - 調査原因
一般国道246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う発掘調査 - 調査期間
令和6年4月1日~調査中 - 主な時代
縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世 - 遺跡の立地
栗原川支流の沢筋に面した東向きの丘陵斜面
厚木秦野道路建設事業に伴う三ノ宮・上入増遺跡と三ノ宮・中尾根山遺跡の調査は、令和5年11月より調査を開始しました。両遺跡は同じ谷内の上段・下段の位置関係にあります。谷奥の丘陵頂部には尾根山古墳群が所在しています。昭和36年に神奈川県教育委員会により4基が調査され、いずれも横穴式石室をもち、直刀、刀子、鉄鏃、耳環、玉類、須恵器などが出土しており、6~7世紀前半にかけて複数築造され、一つの古墳で複数回の埋葬が行われていたことが明らかになっています。
両遺跡の調査では近世、中世、奈良・平安時代、古墳時代の遺構面を確認しています。近世では畝や溝など耕作地として利用していたことが明らかになっています。中世~奈良・平安時代では土坑やピットを検出していますが、両時代とも出土遺物が少なく、時期の特定までには至っていません。中尾根山遺跡では中世、上入増遺跡では奈良・平安時代にピットが集中している範囲を確認しています。それぞれ掘立柱建物を形成するような配置で検出しましたが、柱穴間隔が不安定なため、正確な建物として認識するには至っていません。
両遺跡の主体となる時代は古墳時代になります。同じ谷内に遺跡が立地しており、他の時代と比べ遺物が多く出土します。両遺跡で竪穴住居跡を5軒発見しています。三ノ宮・中尾根山遺跡の住居跡では1つが谷奥側に位置しており、土石流等により流されたことで柱穴と周溝のみを確認しています。その東約20mに位置する住居跡は、内部に炭化材などが残った状態で発見しました。三ノ宮・上入増遺跡では谷の中央部に位置した住居の床面が焼け、炭化材が残った状態で検出しています。おそらく焼失した住居と考えられます。出土遺物から弥生時代末~古墳時代前期に帰属すると考えられます。