公開日 2025年02月07日
下糟屋・丸山遺跡第8地点
遺跡の概要
- 所在地
伊勢原市下糟屋字丸山2224番1の1 - 調査原因
宅地造成工事に伴う発掘調査 - 調査期間
令和5年9月1日~11月14日 - 主な時代
古墳時代前期・中世・近世 - 遺跡の立地
歌川と渋田川に挟まれた丘陵上
今回の調査地点は金目川の支流の一つである渋田川左岸の丘陵にあって、川に向かって傾斜する緩斜面地に立地します。
下糟屋・丸山遺跡は、伊勢原市【機種依存文字】71遺跡の一部に該当し、遺跡の中央付近に位置する中世城郭跡である丸山城跡を中心とした旧石器時代~中世・近世にかけての城跡・集落跡です。丸山城の築城時期・城主は解明されていませんが、発掘調査の成果から室町時代~戦国時代に機能していたと推定されています。現在、丸山城址公園として整備されています。
今回の調査で検出された遺構は、古墳時代初頭の方形周溝墓1基、中世の堀状遺構1条、近世の溝状遺構3条、竪穴状遺構1基、近世以降の溝状遺構1条、道状遺構3条、土坑1基、ピット22基です。
方形周溝墓は、関東地方では、弥生時代中期~古墳時代に造られたお墓の1種で、方形の溝に囲まれた内側に遺体を埋葬したものです。今回の調査では、溝の内側は削平されており、埋葬の痕跡はみつかりませんでしたが、溝の底に掘られた穴から人の歯と思われるものがみつかり、人が埋葬されたものと考えられます。溝の中から出土した土器の年代から、古墳時代初頭に造られたものと推定されます。調査区外の南側は既に削平されて失われており、全体の形状・規模は不明ですが、検出された部分の規模から大型の部類に入るものと推定されます。
中世では、丸山城跡のものと思われる堀状遺構の一部が検出され、中世のかわらけ・炻器甕(せっきかめ)の破片のほか、古墳時代後期の土師器(はじき)甕(かめ)の破片が出土しました。調査区外の南側は、方形周溝墓同様既に削平されて失われていました。
近世の竪穴状遺構から磁器・金属製品・砥石などが出土しました。