公開日 2026年03月04日
三ノ宮・中栗原遺跡
遺跡の概要
- 所在地
伊勢原市三ノ宮2141-7外 - 調査原因
一般道246号(厚木秦野道路)建設事業に伴う発掘調査 - 調査期間
令和7年6月2日~調査中 - 主な時代
縄文・古墳・近世 - 遺跡の立地
栗原川支流に挟まれた尾根筋斜面
三ノ宮・中栗原(なかくりばら)遺跡は丘陵の尾根の先端部に位置し、調査範囲を2分割し、尾根の上段部分を1区、下段部分を2区として令和7年6月より調査を開始しています。遺跡の所在する尾根の南東直下には、開創が永正元年(1504)の記録が残る久昌山保国寺(くしょうざんほうこくじ)が所在します。
本遺跡範囲内で昭和時代に行われた分布調査では、みかん畑の中に古墳が5基確認されています。三ノ宮地区では埒免(らちめん)古墳、登尾山(とおのやま)古墳、尾根山古墳群(おねやまこふんぐん)や三ノ宮・上栗原(かみくりばら)遺跡、三ノ宮・下尾崎(しもおざき)遺跡で発見された横穴墓(よこあなぼ)など、墓葬(ぼそう)の遺跡が分布しているのが、これまでの発掘調査で明らかになっています。本遺跡でも古墳を4基確認しており、そのうちの1基を現在調査中です。
近世には1区の上段部分で近世の耕作痕を発見しています。古墳を避けるように周囲には宝永火山灰廃棄土坑が散見されていました。
下段部分では3基の古墳を調査しました。1号墳は墳丘(ふんきゅう)や石室(せきしつ)(奥壁側の一部)を検出しています。2号墳も1/3程度の石室範囲が残っていましたが上部大半は崩れて確認できませんでした。羨道部(せんどうぶ)には框石(かまちいし)で入口を塞がれた状態で残っていました。さらに羨道と玄室(げんしつ)の幅が同一で無袖式(むそでしき)と考えられる形状が推測されます。1・2号墳には周溝(しゅうこう)状の痕跡を検出しましたが、自然的な水の通り道となっていたようで、古墳としての周溝であったかは定かではありません。3号墳も墳丘や石室の上部、周溝などは後世の削平などにより確認できませんでしたが、奥壁側の石室部分は良好に残存し、床面からは管玉(くだだま)やガラス小玉、歯などが出土しています。鉄鏃(てつぞく)や装飾品類の僅かな遺物が発見されていますが、時期を特定できる遺物が出土していません。本地区内に所在する古墳は古墳時代後期(6世紀末~7世紀代)に帰属します。同様の時期の古墳と推定しています。








