子易・中川原遺跡第2次調査(令和7年度調査)

公開日 2026年03月04日

子易・中川原遺跡第2次調査

遺跡の概要

  • 所在地
    伊勢原市子易22番地先
  • 調査原因
    機能回復道路設置
  • 調査期間
    令和6年9月2日~令和7年1月24日
  • 主な時代 
    縄文・弥生・中世・近世
  • 遺跡の立地
    鈴川の右岸、舌状台地上

 遺跡の見つかった時代は、近世以降、中世、弥生時代、縄文時代です。
 近世以降では、石垣・土坑・溝・ピットが見つかり、本遺跡の周辺が水田等の耕作地として利用されていたものと考えています。
 中世では、掘立柱建物跡・土坑・溝・ピットが見つかりました。掘立柱建物跡(C1号掘立柱建物跡)の北東隅の柱穴及びその周辺から、舶載により中国からもたらされた「景祐元寶」が出土しました。掘立柱建物跡とその周辺の遺構は、鎌倉時代に造られたものと思われます。調査区の東端部分に当たる鈴川に面した急斜面で見つかった溝(C3号溝)は、斜面の等高線に直交する方向に造られていました。溝の底面に硬化面が見つかったことから、道として使われていたと考えられます。また、溝の周囲は斜面を階段状に削り平坦面が造られていました。溝から出土した舶載磁器・陶器・かわらけなどから鎌倉時代に造られた溝と思われます。
 弥生時代では、落し穴が見つかりました。出土した土器から弥生時代前期末から中期初頭に造られたと考えられます。
 縄文時代は後期の集落と、中期以前の落し穴などが見つかりました。
 縄文時代後期では、竪穴住居跡・竪穴状遺構・焼土跡・土坑・ピットが見つかりました。集落の中心となる竪穴住居跡は4軒見つかり、主に堀之内式の土器が出土しました。竪穴住居跡のうち1軒は柄鏡形の敷石住居(J 2号竪穴住居跡)でした。また集落の中には、土坑が集中している範囲が見つかりました。
 縄文時代中期以前では、落し穴・土坑が見つかりました。後期に集落が営まれる以前は、主に狩場として利用されていたと思われます。

調査の写真

調査区東端部C3号溝全景
C3号溝全景
SB1(掘立柱建物址)全景
C1号掘立柱建物跡
SI2(敷石住居址)全景
J2号竪穴住居跡
J2号落し穴完掘
J2号落し穴
SK13(土坑)遺物出土状況
J13号土坑遺物出土状況

地図

遺跡の位置

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