公開日 2026年03月04日
東大竹・稲荷久保遺跡第5地点
遺跡の概要
- 所在地
伊勢原市東大竹728番1、2、6、7 - 調査原因
宅地造成事業に伴う発掘調査 - 調査期間
令和7年6月30日~7月31日 - 主な時代
縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世 - 遺跡の立地
伊勢原台地南端、谷戸に挟まれた舌状台地端部
今回の調査地点は北側(A区)と 南側(B区)の2か所に調査範囲が分かれており、確認された遺構は古墳時代後期~奈良・平安時 代の竪穴住居跡(SI)2軒(B区)、掘立柱建物跡(SB)3棟(B区)、土坑(SK)7基(A区3基、B区4基)、溝状遺構(SD)2条(B区)、ピット(P)13個(A区4個、B区9個)、弥生時代後期~古墳時代前期の竪穴住居跡1軒(B区)です。
遺物は古墳時代後期~奈良・平安時代の土師器、石製品(砥石)、弥生時代後期~古墳時代前期の弥生土器・土師器、縄文時代の土器、黒曜石剥片が出土しました。
竪穴住居跡は南側調査区で3軒確認され、2軒(SI01・03)は古墳時代後期~奈良・平安時代のもので、1軒は(弥生時代後期~古墳時代前期)のものと考えられます。
1号竪穴住居跡(SI01)はB区で確認され、掘立柱建物跡と重複し切られていました。また南側は調査区外に延び、西側は後世の撹乱により削平されていました。規模は東西3.7m、確認できた南北は2.74mで、平面形は東西にやや長い長方形と考えられます。カマドは西壁中央やや北寄りに壁を掘り込んで作られていましたが後世の撹乱等によりほとんどが削平されており、どのような形状であったかは判断できませんでした。床面は貼り床でほぼ平ら、西側半分が硬く締まっていました。カマドの左側(南西隅付近)には確認規模が0.70×0.63mで、深さが26cmの隅丸長方形状の掘り込みが認められ、その掘り込まれた位置から貯蔵用の穴(貯蔵穴)と考えられます。遺物は平安時代の土師器坏・甕などが出土しました。
2号竪穴住居跡(SI02)はSI01と重複して認められ、南東・北西の一部が調査区外に延びていました。規模は東西3.12m、南北3.80mで、平面形は南北に長い長方形です。床面は貼り床でほぼ平ら、北西隅付近の床面から炉と考えられる焼土が認められました。焼土範囲は75×46cmの楕円形で地床炉と考えられます。遺物は床面付近から壺の口縁部片が出土したほか甕などの土器が出土しました。これらの出土遺物から本跡は弥生時代後期~古墳時代前期頃のものと考えられます。
3号竪穴住居跡(SI03)はB区の東側で認められ、東側の大半が調査区外に延びていました。
溝状遺構はB区の調査区の南東付近で2条確認されました。1号溝状遺構(SD01)は南北溝で北側は調査区内で立ち上がって途切れていますが南側は調査区外に延びていました。規模は確認長2.6m、幅0.84~0.9m、深さは21~25cmでした。断面形は逆台形状で、主軸方向はN-14°-Wです。
ピットはA・B区それぞれで確認されましたが、それらの在り方に規則性は認められませんでした。
今回の調査では、これまでの周辺での調査成果と同様に、古墳時代後期~奈良・平安時代の竪穴住居跡・掘立柱建物跡等が確認されたことから、本地点の遺構も台地上・傾斜地に拡がる同時代の集落の一部であると考えられ、本遺跡の竪穴住居跡の在り方は比較的点在するように営まれていたものと推測されます。また、本地点ではこれまでの調査で確認されなかった弥生時代後期~古墳時代前期の竪穴住居跡が確認されたことから、本地域周辺にも同時期の集落が営まれていたものと推測される貴重な成果であると考えられます。
なお、B区の中央付近で確認された竪穴住居跡(SI01)の掘り方や重複するSI02から縄文時代早期頃等の土器片が確認されたことから、縄文時代の遺構の有無の確認と堆積層の確認を兼ねた東西方向に長さ4m、幅50cmのトレンチをSI01・02の掘り込み内に設定し掘削を実施しました。その結果、縄文時代の遺物が確認されたことから、掘削範囲を拡げて調査を実施しました。その結果、縄文土器・石器は出土しましたが遺構は確認されませんでした。また、A区では堆積層の確認のために2×1.5mの範囲で深掘り(TP1)を実施した結果、包層中から縄文時代の土器片・礫が出土しましたが、B区と同様に同時期の遺構は確認されませんでした。この状況から本地点では縄文時代の集落は営まれていなかったと考えられますが、周辺地域には集落が存在するのではないかと推測されます。
