公開日 2016年12月15日
伊勢原市では、戦争の記憶やその時代を表す品々を「平和史料」として収集しています。
戦争を経験した方が少なくなり、その記憶も薄れつつある中、戦争がもたらす悲しみ、平和の尊さを『未来へ』『若い世代へ』語り継ぐことが必要とされています。
このページでは、戦前・戦中・終戦直後の生活を表す物品の写真を「平和史料」として公開します。
各史料の物品説明は寄贈者及び所蔵者の証言に基づき記載しています。
当時の生活
アイロン
市内では当時(明治~昭和30年代)多く使われていました。炭を入れてその熱でしわを伸ばす形式のものの資料はありますが、写真のものはお湯を入れてしわを伸ばす形式のもので、珍しいものです。(馬杉通子氏 所蔵)
風神はちまき
「神風」という文字と日の丸が書かれたはちまきです。第二次世界大戦当時は兵士だけではなく、女学生達もこのようなはちまきを身につけていました。はちまきの裏面には軍歌「同期の桜」の歌詞が記されています。(及川利雄氏 寄贈)
大日本国防婦人会たすき
大日本国防婦人会(大日本國防婦人會)とは戦争に行く兵士の送迎など、戦争協力団体として昭和7年(1932年)に女性達で結成された団体です。これはその団体のたすきです。(及川利雄氏 寄贈)
少国民カルタ
第二次世界大戦当時の子供向けのカルタです。
「日本ヨイ國(くに)神ノ國(くに)」「ヤガテボクラモ日本ノ兵士」「恩ヲ忘レズオ國(くに)ヘチユウギ(忠義)」といった内容が描かれています。(馬杉通子氏 所蔵)
軍隊生活
恩賜たばこ
天皇から下賜された(贈られた)たばこです。(馬杉通子氏 所蔵)
軍事郵便
戦地にいる軍人が近親者とのやりとりに使ったハガキです。伊藤深水などの画家の描いた絵が描かれているものもありました。(馬杉通子氏 所蔵)
軍服
大日本帝国陸軍の兵長の軍服です。(T氏寄贈)
※帽子は当時の物ではありません。
三八式歩兵銃
日清戦争から第二次世界大戦にかけて使用されていた銃です。日本軍の主な小銃として使用されていました。
(及川利雄氏 寄贈)
四式陶製手榴弾
第二次世界大戦末期、金属資源が不足していったため、金属製の手榴弾を作ることが難しくなりました。これは金属の代わりに陶器で作られた手榴弾です。(及川利雄氏 寄贈)
戦陣訓
日本軍の兵士としての心構えが表された文章です。(馬杉通子氏 所蔵)
双眼鏡
木更津航空隊において寄贈者が飛行機の上で使用していた双眼鏡です。(亀井昇氏 寄贈)
杯
歩兵第十六連隊・野戦砲兵の杯です。(馬杉通子氏 寄贈)
飯盒
軍隊生活で使用されていた飯盒(携帯用の炊飯鍋)です。「田中」と記してあり、中には皿が2枚収納されています。
寄贈者の義父が使用していたものです。(及川利雄氏 寄贈)
空襲
鉄兜
一般市民が空襲に備えて着用していた鉄製のヘルメットです。(及川利雄氏 寄贈)
焼夷弾の破片
M50マグネシウム焼夷弾の一部分です。寄贈者が昭和20年(1945年)の平塚空襲の後に拾ったものです。
当時このような鉄塊は価値があったので拾いに行ったのだそうです。(及川利雄氏 寄贈)
消火弾
内部には消火のための薬品が入っています。空襲による火災の消火のために使用されました。(及川利雄氏 寄贈)
空襲用防毒面1
空襲の際に使用された防毒マスクです。ホースでつながれた缶からろ過されたきれいな空気を吸うような仕組みになっています。(及川利雄氏 寄贈)
空襲用防毒面2
空襲に備えて用意されていた防毒マスクです。(及川利雄氏 寄贈)
薬莢
グラマンF6Fという戦闘機の放った機銃弾の薬莢です。昭和19年(1944年)、寄贈者は伊勢原市谷戸大竹の芋畑で作業中に、東大竹の伊勢原変電所を狙ったグラマンF6Fの銃撃を受けました。この薬莢はその時の機銃弾を拾ったものです。
(及川利雄氏 寄贈)