日向薬師・宝城坊

公開日 2018年05月01日

日向薬師・宝城坊

宝城坊

所在地

 伊勢原市日向1644番地

概要

宝城坊は日向山霊山寺の一坊で、明治時代以降、霊山寺を継いで、国指定重要文化財 10 件ほか、県指定 6 件、市指定 4 件、市登録 1 件の貴重な文化財を所有する古刹です。

縁起によると霊山寺は、奈良時代、霊亀 2(716)年に僧・行基により開創されました。

本尊の薬師如来両脇侍像は、平安時代中期(10世紀末から11世紀初頭)に造られたと考えられています。また、平安時代後期の天暦6年(952)に村上天皇の発願によって京都から銅鐘が奉納されています

11 世紀の初めには三十六歌仙として有名な女流歌人相模が、眼病平癒を祈って霊山寺に参籠し、「さして来し日向の山を頼む身は 目も明らかにみえざらめやは」の歌を詠んでいます。

鎌倉時代になると、源頼朝・北条政子夫妻や三代将軍源実朝夫人といった幕府のトップクラスの信仰を集めました。幕府の事績を記した『吾妻鏡』から、頼朝が 1 回、政子らが 2 回参詣したことがわかります。また頼朝は自身の歯痛平癒のため、代理を参詣させてもいます。また、この頃薬師如来坐像や阿弥陀如来坐像、四天王立像などが造られました。

室町時代、京に幕府を開いた足利尊氏は、東国支配の重要性から息子の基氏を鎌倉公方としました。基氏は、霊山寺とも深く関わり、現在まで伝わる県指定重要文化財「宝城坊の錦幡」を奉納しています。

戦国期、関東に覇をとなえた小田原北条氏の頃になると、霊山寺に拠った山伏達が戦に従事するようになりました。

天正 19(1591)年、霊山寺は徳川家康から小田原北条氏の頃と同様の寺領 60 石の朱印状を受けました。江戸期の霊山寺は修験道の拠点であったと思われます。

万治 3(1660)年、鎌倉・室町期の部材を再利用して、本堂、薬師堂を建立。寛保 3 ~延享 2 年(1743 ~ 1745)には本堂の大規模改修を行い、現在と同じ構造となりました。

江戸終期から明治初頭にかけて神仏分離の波が霊山寺にも押し寄せ、別当であった宝城坊以外は廃絶しました。この時、貴重な文化財はいくつか消滅したものの、奇跡的ともいえる状況で今日まで伝わっています。

文化財

国指定

県指定

市指定

市登録

 

日向地区文化財散策ルートへ

お問い合わせ

文化財係
住所:伊勢原市田中348番地
TEL:0463-74-5109
FAX:0463-95-7615
このページの
先頭へ戻る