公開日 2016年04月25日
更新日 2024年03月04日
このページでは、公的機関が選定したさまざまな50選・100選のうち、伊勢原市に関係する人、もの、事柄などをまとめて紹介しています。
※項目名や説明文は、選定時の原文をもとに編集しています
※★が付いている50選・100選は、市立図書館に関連資料が所蔵されています
神奈川県選定
かながわの民俗芸能50選(昭和52年度)
道灌まつり
大山の能・狂言
大山の倭舞・巫子舞
かながわの歌50選(昭和53年度) ★
大山阿夫利音頭
戦後の混乱期に「人々の心のよりどころに音頭でも制作して、皆で盆に踊ったら…」と、大山阿夫利神社の目黒潔宮司らが中心になって、宮司の母校国学院大の臼田甚五郎教授に作詞を、長唄界の長老、十四世杵屋六左衛門に作曲を依頼して、昭和24年8月に制作、大山町で大々的に発表、踊りの輪が描かれたもの。振り付けは吾妻春国。
伊勢原音頭
昭和52年、伊勢原市の公募によって制作されたものである。作詞は伊勢原市在住(当時)の北沢義興さん。作曲その他は、テイチクレコードに依頼制作したもの。
かながわの景勝50選(昭和54年度) ★
大山山頂
眼下に広がる相模平野の向こうには相模湾、また、三浦、房総、伊豆、天城の連山や、箱根連峰、富士までが望める眺めは雄大である。
日向薬師
広大な寺域は老杉古樹に覆われ、本堂は朱塗り単層草葺きで山寺らしい風情があり、参道をつつむ自然がすばらしい。
かながわの100人(昭和55年度) ★
相模(998~1068)
平安期の女流歌人。夫であった大江公資が相模守に任じられ、寛仁4年(1020)3月に夫とともに相模に下った。眼病を患い、回復を祈って日向薬師にこもった際に詠んだ歌を本堂の柱に書きつけたといわれる。相模が詠んだ歌は、後に『百人一首』に選ばれ、彼女は中古三十六歌仙にも数えられた。
願行房 憲静(1215~1295)
鎌倉期の真言宗の僧。37歳の時、律書を出版して世に広めるために勧進を行い、その後、鎌倉へ下り、大楽寺や理智光寺を建てた。文永年間(1264~1274)には、願を掛けて勧進を行い、阿夫利山に大山寺を再建した。そして、自ら鉄で不動明王像(写真、国指定重要文化財)を造り安置した。また、弘安9年(1286)3月に、京都から多くの舞楽人を伴い、大山寺で舞楽曼荼羅供養会を行った。
太田 道灌(1432~1486)
室町時代の武将。長禄元年(1457)、わずか25歳の時に江戸城を築いた。また和歌をたしなむなど学問を好み、著書も数多かった。常に少数兵力で敵の大軍を破っていたことから「軍法師範」とか、三国時代の名将「孔明の再来」などとうたわれたが、その名声があまりに高いのを懸念した主の扇谷上杉定正により、現在の上粕屋にあった糟屋館で謀殺された。
権田 直助(1809~1887)
幕末から明治初期にかけての国学者。明治6年(1873)に大山阿夫利神社の神官となり、神仏分離により大山寺と分かれた後の同社の整備に力を尽くした。大山に生徒寮を造り、各地から子弟を集めて教育し、神道学で言われる『大山学派』の名を残した。大山の赤松にある彼の墓の前には、権田公園が造られている。
かながわのむかしばなし50選(昭和56年度) ★
『五反田の乙女地蔵』
大句の大地主の一人息子は、下働きの娘に思いを寄せていた。結婚の許しを請う二人に親戚たちはある条件を出し…。
『日向薬師のやぶれ太鼓』
日向薬師には皮がなく、胴だけの鳴らない大太鼓がある。皮がなくなったわけとは…。
かながわのまつり50選(昭和57年度) ★
日向薬師の春祭り
日本三薬師に数えられる本尊の開扉の後、修験者が神木のぼりを行う。日向山修験(山伏)の伝統的行事で全国でも珍しい。眼病に効ありとされる薬師如来や日光・月光菩薩、十二神将などを拝観する人でにぎわう。
三之宮比々多神社の春祭り
国土豊穣を祈るための行事で、奈良時代、国の祭として行われた。頂上に加藤清正、熊谷直実、仁木弾正のカブキ人形を置いた二層式の人形山車が3台出て、市内を練り歩く。神社裏の林を開放して行われる植木市は祭りの名物である。
伊勢原観光道灌まつり
江戸城の創建者として知られる太田道灌をしのび、昭和43年から始まった。墓前祭、この地にゆかりのある太田道灌や北条政子の行列のほか、郷土色豊かな太鼓、みこしの行列が祭りに花をそえ、市民総おどりなどがにぎやかに行われる。
かながわの史話100選(昭和58年度) ★
太田道灌の最後
太田道灌は武勇にすぐれ、築城術に秀でるとともに、足軽による集団戦法をいち早く採用し、戦場で威力を発揮した。しかし、主君の上杉定正をしのぐほどの実力を持ったため、定正は彼をだまして相模国糟屋(現在の市内上粕屋)の館に招き、入浴していた道灌を家来の曽我兵庫に殺させた。上粕屋の洞昌院と下糟屋の大慈寺(写真)には、道灌のものと伝わる墓がある。
大山もうで
大山は江戸とその周辺の民衆のあこがれであり、たいへんに庶民に愛されていた山であった。宝暦年間(1751~1763)の大山参詣者が最も多かったと言われ、10万人以上の人々が、江戸近辺から大山を目指した。また、道は多様であったようであり、現在でも神奈川県の各地に「大山道」と石に刻まれた道標が残されている(写真は市内石倉にある道標)。
かながわの名木100選(昭和59年度) ★
宝城坊の幡かけのスギ
日向薬師の二本杉は宝城坊と薬師堂の中間の鐘楼のそばに約4メートルを隔てて南北に並んでいる。この木に足利基氏が幡をかけ、平和と幸せ、五穀の豊かな実りを祈ったことから「幡かけのスギ」として親しまれている。「宝城坊の二本杉」として県の天然記念物に指定されている。
大福寺のクスノキ
市のほぼ中央に位置する大福寺にあり、県の天然記念物に指定されている。
大山阿夫利神社のカシワ
大山の中腹にある大山阿夫利神社の社務所の池を見下ろす崖の上にある古木で、樹高14メートル、胸高周囲2.4メートル、推定樹齢約400年とされている。
かながわのまちなみ100選(昭和61年度) ★
渋田川沿い(池田神社・八幡神社付近)
すまいのまちなみ。大きな構えの家が建つ広々とした宅地は、手入れの行き届いた生け垣に囲まれている。川堤には桜並木や地元の人が丹精を込めて育てた芝桜などが、四季を美しく彩っている。住宅と川のせせらぎ、樹木・草花が見事な調和を見せている。
中央通り
しごとのまちなみ。花と緑のある身近な商店街であると同時に、大山参道の入口として数百年の伝統を持つ「老舗」が、まちなみにアクセントをつけている商店街でもある。
大山参道
歴史のまちなみ。大山参道は、雨乞いの神として信仰を集めた大山の宿場町として今にその歴史と伝統を伝えている。大山こまのカラータイルを敷き詰めた化粧階段や、大山講宿坊の玉垣、土産物店などが連なり、歴史の面影と観光地のにぎわいが共存するまちなみとなっている。
かながわの文学100選(昭和62年度) ★
『大山詣り』 正宗白鳥
関東大震災から2年後の大正14年、平塚から大山のふもとまで開通したばかりの乗合自動車を使って大山を訪れた正宗白鳥は、震災後の人々の暮らしぶりを『大山詣り』に描いた。
かながわの美林50選(昭和63年度) ★
大山のモミ林
大山は古くから霊山として庶民の信仰の対象とされ、山頂には大山阿夫利神社本社があり、山腹には阿夫利神社下社、大山寺がある。大山のモミ林はそのような背景のもとで阿夫利神社の社叢林として保護されてきており、モミを主体とした自然林が広がっている。
かながわの建築物100選(平成元年度) ★
大山寺(大山724)
天平勝宝7年(755)、東大寺の初代別当良弁僧正の開創と伝えられる。創建時の建物は大地震により焼失、元慶8年(884)に再興されたが、その後再び荒廃し、鎌倉時代に願行上人によって再興された。明治に入り、神仏分離令のあおりを受けて大山寺は取り払われ、跡地には大山阿夫利神社下社が建てられた。明治18年(1885)に現在の地に再建され、今に至っている。
日向薬師本堂(日向1644)
正式には日向山霊山寺と言い、霊亀2年(716)僧行基の草創とされる。鎌倉時代には源頼朝が夫人政子の安産を祈願し、江戸時代には徳川家康から60石の寄進を受けるなど、各時代を通じて厚く庇護を受けた。現在の本堂は、桁行7間・梁行5間の大きな堂で、一部に室町時代の古材を使用して江戸時代に再建したものである。
かながわの橋100選(平成2年度) ★
加寿美橋
大山地区にある朱塗りの橋。中央部にバルコニーがあり、そこから四季折々の大山の景色を臨むことができる。欄干には擬宝珠が付けられ、通る人にのどかな雰囲気を与えてくれる。
かながわの探鳥地50選(平成3年度) ★
日向薬師周辺
杉木立に囲まれた境内には、メジロやシジュウカラの声が響いている。日向川沿いでは、ヤマセミやカワガラスなど渓流の鳥の姿も見られる。
大山
ふもとのカシ林、中腹のモミ林、山頂近くのブナ林と自然の林がよく残されており、ゴジュウカラ、コマドリ、ウソなど山の鳥に出合う機会が多く見られる。
かながわの公園50選(平成4年度) ★
伊勢原市総合運動公園
市北部の丘陵の上につくられた総合運動公園は、周囲にゆるやかな田園風景が広がり、遠くに湘南平や相模灘、振り返れば間近に大山の山肌を仰ぐことができる。建築面積6,200平方メートル余りの体育館は、風格のある外観が特徴で、その昔伊勢の人が住み着いたことから伊勢原の地名となったことに由来して、伊勢神宮神明造の特徴を現代風にアレンジした設計となっている。
かながわの古道50選(平成5年度) ★
日陰道
かつて源頼朝が日向薬師を参詣する際、家臣たちは現在の参道を通らず、この道を通ったといわれている。日向に対して、北向きの所は日陰になるところから、この名が付けられたという。
大山道の宿坊街付近
大山は江戸時代、山岳信仰の対象とされ、たくさんの講中が登った。「大山ケーブル」バス停より大山ケーブル駅までの宿坊街は、現在も大山道のメインストリートであり、たくさんの土産物屋や旅館が並んでいる。
かながわの花の名所100選(平成6年度)
渋田川河畔
日向薬師周辺
かながわ未来遺産100(平成13年度)
大山阿夫利神社
丹沢・大山
かながわの名産100選(平成18年度)
大山こま
職人が伝統を守り丹精を込めて作る大山こまは、木肌の温もりを感じる郷土玩具で、よく廻ることから金運が付いて廻るといわれる縁起物。大山の土産品。
伊勢原の矢
矢師の技と勘に支えられ、一本一本手作りされている。伝統武道を支え、継承があり矢師の魂が宿っている矢は、弓道の愛好者に喜ばれている。
大山のとうふ
大山のおいしい水、厳選した素材の大豆、にがりを使った大山の豆腐は、そのまま食べてもとてもおいしく、大山名物の豆腐料理に欠かせない食材。
大山のきゃらぶき
自然の野ブキを昔どおりの各店独自の製法により、醤油で伽羅色になるまで丹念に炊きあげ、天然の香味を引き出した味付けをしている。大山名物。
おおやま菜漬
大山菜は、在来のカラシナの一種で特有の辛みがあり、単なる塩漬けでは辛みが出ず、塩もみすることによってのみ味の出せる我が国でも珍しい漬け物。
神奈川の地酒
大山の豊かな伏流水と良質な酒米を伝統の製法で仕込んだ手造りの名酒。
神奈川のみかん
県西地域の代表作物であり、甘みと酸味のバランスがとれている。市内でも栽培が盛ん。
神奈川のなし
伊勢原は県内でも有数の梨の産地として知られる。市内では主に幸水、豊水、新水を生産している。
神奈川のカーネーション
神奈川のカーネーションは、全国的にも生産量が多い。伊勢原でも多く生産されている。
農林水産省選定
美しい日本のむら景観百選(平成3年度)
子易
大山街道沿いの「子易柿」の果実の鮮やかな朱色が、周辺の山々の緑と重なり合いながら絶妙なコントラストを醸し出している。