江戸時代 

公開日 2012年10月04日

いせはらの歴史

江戸時代

徳川の治世

慶長(けいちょう)8年(1603)、関ヶ原の動乱を戦い抜いた徳川家康は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となり、江戸幕府を開きました。長い戦国の世は終わり、天下泰平といわれる江戸時代が幕を開けます。

「伊勢原」の名はこの江戸時代の元和(げんな)5年(1619)(元和6年ともいわれる)に、伊勢山田の曾右衛門(そうえもん)と鎌倉の湯浅清左衛門(ゆあさせいざえもん)が千手ケ原(せんじゅがはら)を拓き、伊勢神宮を勧請(かんじょう)して鎮守としたことに始まると伝えられています。

宝永(ほうえい)3年(1706)には串橋の地頭松平伝兵衛(まつだいらでんべえ)と白根の地頭小笠原重郎兵衛らが鈴川の改修工事を行って用水路を造ったり、明暦(めいれき)年間(1655~1658)には秦野から葉たばこの栽培が伝わったり、土地や産業の開発もこの時期に着々と始まっています。

大山道道標写真浮世絵 二代広重作 東海道五十三駅藤沢追分道

下落合に残る大山道の道標。上に不動明王を載せています。
錦絵にも同じかたちをした道標が描かれています。

大山の賑わい

家康は江戸幕府を開くと、大山寺の改革に乗り出しました。当時の大山寺は戦国時代の名残から僧兵や山伏たちの巣窟(そうくつ)となっていました。家康は武力を一掃して人事を刷新(さっしん)し、寺領100石を寄進しています。3代将軍家光もまた、大山寺の再興に莫大な資金を投じています。将軍の代参や春日局(かすがのつぼね)などがたびたび大山寺を訪れました。

江戸中期には庶民の間でも大山参りが大流行しました。集団で石尊大権現(せきそんだいごんげん)に参詣(さんけい)するもので、物見遊山をかねた小旅行は町人文化が芽吹き始めた頃の江戸庶民にもてはやされました。伊勢原は参拝者を受け入れる門前町として発展し、宿屋や商店などが軒を連ねるようになっていきました。

大山に向かう道々には道標が建てられ、今でも行き交う人々を見守っているものもあります。また、現在市内にある寺社は江戸時代に建立されたものも多く、仏像もこの時代に最も多く造られています。江戸時代後期にかけては俳人や学者なども訪れ、画家や芸人を輩出するなど、豊かな文化が育つ土壌が形成されていきました。

浮世絵大山詣りその1浮世絵大山詣りその2浮世絵大山詣りその3

              大山詣りに扮した歌舞伎役者

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